翠清

総合表現団体

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BBS■3・11 あの日に起こったこと

4月 19th, 2011 / suisei

BBSに投稿して下さった方のメッセージ。こちらMainページでも、ご紹介していきたいと思っています。

サイト右の「情報さやかに こちらから」下のカテゴリー内に、「忘れないために」を設けました。こちらをクリックして頂くと、関連記事がまとめられております。今までにアップしていた記事からも、リンクをかけました。ふりかえれば、サイト立上げから、9.11、中越沖地震、広島・長崎の原爆、と短いながらに記事を綴っていたのでした。なぜかそれら全てが、今の状況につながっていました。

数えきれない、忘れてはいけなかったことが存在しています。悲惨な事件や、災害を、数えあげていくのではなく、日々の生活の中で、何かに「気づいて」いきたいと思います。表現者は、感性の生き物です。私たちができる一つのこと、かもしれません。

まずは、翠清のMINOちゃんと、近藤くんから。

3.11あの日から     MIHO投稿
東北関東大震災から15日目を迎えようとしています。未だ安否がわからない人。日に日に増えていく死亡者。大きい揺れではないけれど、毎日起きる余震に不安と次は関東大地震が起きるんじゃないかという恐怖に駆られています。私は震災当日、飛行機の中にいました。最初は成田が閉鎖されたため帰国できないという一報で、また折り返し異国の地に戻りました。あまりにも情報が錯綜していたので空港にあるPCで情報を得に行ったところ、東日本で大地震が起きたと知り、あわてて埼玉の実家に連絡しました。やっとの思いで通じた電話。母が涙声で「無事で良かった。部屋は滅茶苦茶だけど、こっちは全員大丈夫。東北はもっと強い地震と津波で壊滅的」と。事の一大事を知りました。当然のこと、その日から2日間は帰国できずホテルに缶詰でした。ホテルではずっと日本のニュースを見て帰れない不安と今、日本で起きていることの現実を受け止められずにいました。2度目の帰国の際、空港で働いているアメリカ人から聞いた話、あと1時間ちょっと早く飛び立っていたら、今頃どうなっていたか分からなかったそうです。まあ、そんな自分の話はどうでもよくて…。

被災していないとはいえ、もはや日本国民全員が今直面している3つの問題と戦っていかなければなりません!そして被災者の苦しみ悲しみを共有しなければなりません!私の友人は自衛隊で、今被災地の現場で危険と隣合わせの中、みんなのために頑張ってくれています。

私にできること…。

私たちにできること…。

まずは節電・節水・節約。
車ではなく、なるべく徒歩や自転車を利用する。(今更になって最近は色々と便利すぎたなと。それらに完全に頼っていた自分を反省。)
まだまだ出来ることってたくさんあると思うけど、まずはこれらと被災者に勇気や希望をあたえるべく、私は音楽活動を通して少しでも力になれればと思っています。

いつもあったものがないと不安かもしれないけど、その衝動でたくさん買い占めるのは良くないし手に入るだけありがたいと思わなきゃいけないと思う。「どうせ」とか「だって」とか「でも」とかそんなのいらない。こんな大変な時だからこそ、皆で協力しましょう!そしてこの困難を乗り越えましょう!

ビバ ラ 日本!!
2011-03-25

3.11     近藤投稿
震災からもうすぐ3週間。
僕は震災当日は自宅にいました。揺れ始めてから「もうそろそろ終わるかな」というところで激しくなり、食器棚からコップなどが落下して割れるのを見て、「ただ事ではない」と思いました。家全体が波打っている様にも見えました。今までにない恐怖を感じました。

あの1分程の揺れで、日本は大変な事になってしまいましたね。

震災からしばらくは仕事など予定がキャンセルになったので自宅待機でしたが、駅が封鎖されていたり、スーパーに100人程の列が出来たり、突然停電が実施されたり今までにない光景を目の当たりにしました。

そして原発に関しては深刻な事態なようです。

先ほどテレビで海外の著名な方が
「解決出来ない問題はない。」
と言っていました。
その言葉を信じようと思います。

平和がおとずれますように…

2011-03-30

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